唐突だけど並べてみよう。自分のSTEAM ROLLERの軌跡を。
こうやって並べると、まともに組んでいたのは一番最初と最近くらいだな。
同時に、その時々であった数々の思い出が呼び起こされた。
遊んでた友達、ハマってた事、行きたかった場所、誰が撮ってくれた写真。期待や不安、怒りや喜び。
そしてこんな事も思い返した。
子供の頃、出張帰りに親父がくれたお土産の帽子がお気に入り過ぎてずっと被ってた事。
それにパッチを貼ったりピンズを付けまくったり文字を書いたり。結構サイズがギチギチになっても被っていた気がする…。
遠足の日、修学旅行の日、友達と映画を観に行った日、お祭りの日、好きな子にフラれた日も被っていた。
流石にもう入らなくなって、大人びるようになった中学時代のある日から被らなくなった。
でも、思い浮かぶそれは今でも変わらず、最高にかっこいいと思っている。
そして大人になった今では、似たようなキャップをたくさん買って持っている。
それらには必ず思い出があるはずだが、集約されていない分、思い出は色んなところへ散らばっている。
新しいSURLYブログのポストで、STEAM ROLLERに乗っていた人達の思い出を集め、シェアしていた。
学生だった人も、初めての自転車だった人も、事故した人も盗まれた人も、
何に使い、何処へ行き、誰に出会い、何を想い、時に壊し、時に作り、それぞれがどう乗ったのか。
地球分の1の些細な思い出たちはまるで、自分ごとのように鮮明に思い浮かべる事が出来た。
馬鹿正直に言葉をぶん投げたら、人にとって自転車は、一台あれば充分なのかもしれない。
体も心も一つしかない。
でも僕にはそれに対し欲求があり、興味があり、遊びたくて、仕事でもある。進化も続く。
多くの蓋をしていたジレンマが急にここにも溢れてしまった。でももう諦めた。なるようにしかならない。
そんな気持ちでこのブログを書きながら、ふと何処かへ行ってしまいたい衝動を駆り立てる自転車は、
皮肉にもスチームローラーだ。今の自分を狂わせているある種の張本人でもあり、一番戻りたいところ。
飛び乗ってただ足をぶん回して、当て所なく知らない風景を求め、不安もなくずっと遠くまで走れたら。
遠い昔、親子3人でNHKのライブ映像を観ていた思い出がある。
その時に響いていたメロディや立ち振舞い。煙たくてオレンジの灯りが灯る狭い部屋。
仲の良い父母にあやされながら観た。誰になんと言われようとこの記憶は鮮明で、
そこは世界一幸せな空間だった。僕のパンク的精神の原点は間違いなくここにある。
みすぼらしくても、変人扱いされても、作り出した物に価値がないと言われても、
これさえあれば幸せだ。だから好きにやるので邪魔すんなよ。評価とか意味分かんねえ。とりあえず見とけ。
そんな風にパンクと出会った自分が、彼の地で伝え聞いたパンク精神と共鳴しないわけがない。
スチームローラーの深掘りをしようかなと思ってたけど今日はもうやめた。
本当にストレートに響いたこのバイクの言葉を一緒に解釈して欲しい。今日はそういうブログ。
SURLYスタッフのマットさん。このブランドには近年ジョインしたが、
10年以上QBPで働き、20年以上ミネアポリスに暮らす地元っ子。
彼が案内してくれたSTEAMY(彼らが使うスチームローラーの愛称)を巡る旅に涙腺が緩みっぱなしだった。
ダウンタウンから少し外れのこの公園ではバッドボーイなサイクリストの兄ちゃん達がたむろしててさ、
そこからまた街に戻る時のこのシングルトラックが最高なんだ。その途中の橋の下…、見てみ、見覚えあるだろ?
で、ここから観る夜景はエモーショナルになる。少し昔は寂しい街だったから。
その川のほとりにもメッセンジャーの溜まり場があった。危なっかしいところだろ?
そこからヘネピンブリッジを渡ったこの場所が、俺が好きなこのコミュニティの中心地だった。
ここに来るかっこいいサイクリスト達を眺めていたよ。
お次は…、と、ミネアポリスサイクルカルチャーを若い頃に目の当たりにした彼の思い出話がたくさん溢れてきた。
もうそこに当時の活気は無いが、変わらない風景が尊いし素敵に思えた。
彼らの暮らしや遊びが昨日の事のように想像が出来るほど、
マットさんの話は時に可笑しくて、少し寂しそうな話振りだった。
「steamyはPUNKなんだよ。分かるかい?」とマットさんが話したのはこの場面でだった。
「もともとトラックバイクってジャンルがあったんだ。でもこの街に適しているフレームなんてなかった。」
「もともとロードバイクってジャンルもあったんだ。でもこの街に適しているフレームなんてなかった。」
「俺たちの街でfixed(固定ギア)は必要な存在だった。なぜなら凍てついた道路を走る時に良い具合に走れるから。」
「俺たちの街で太いタイヤは必要な存在だった。なぜならトレイルもレールロードもアスファルトも走らなきゃいけないから。」
「ロードバイクのカルチャーはこの街には昔からあった。彼らの走る時期はだいたいが雪の降る季節の前までだった。」
「メッセンジャー(自転車で荷物を運ぶ仕事)のカルチャーもこの街では盛んだった。彼らは仕事で長い時間と距離を、凍てついた冬でも仕事をするんだ。」
「で、俺たちここのサイクリストは、冬でもどうにかして自転車に乗りたかったんだ。」
点と点が線になっていく。この要素が噛み合う事は一つのフレームが思いつく。
いや待て、二つかも、いや、三つだな。要するにSURLYだな。
「で、1×1も、クロスチェックも作られた。残るはなんだ。そうか、ロードバイクだな。」
「ロードバイクであってロードバイクにあらず。それを考えたんだ。」
「ジャージが似合わないロードバイク、バンクで駆け引きの必要の無いFIXED。」
「この街で走るロードバイカーとメッセンジャーに必要と思うものを作ったら、どちらに対しての反骨精神ともいえる自転車が出来上がった。それがSTEAM ROLLERだ。」
「どうだい、PUNKだろ?だから最後にここに連れてきたかったんだ。」
そう教えてくれて3人で走ったこの場所は一生忘れられない。
そこは1st avenueという伝説的なライブハウスだった。
ある筋から入手した2000年初頭のSURLYサイトには、その壁面をパロディしたデザインがあった。
この文脈を理解した瞬間、
過去に見たSURLYカタログの説明文の意味も、
日本のメッセンジャーの先輩達がこのフレームを使い古していた事も、
なんでトラックバイクブームの時に少し特別視されてたかも、
異様に丈夫で、どことなく乗りやすかった思い出も。
記憶も情報も全部が繋がったそのあとは、涙ぐみながら走っていた。
漕げば進む、足を止めれば停まる。その動作は原始的な自転車そのもの。
自転車に対しての向き合い方が大手ブランドとは違う彼らは、
その原始的な自転車の原点ともいえるコレを意地でも作り続けるのかな…、などと僕は思っていた。
でも、それは叶わなかった。別にそれで嫌いになるなんてことはなかったけど、
正直寂しさはあった。
「先に進むために、これはもう置いていくよ。」
そう誰かが言っていた気もするし、実際そうなんだろうなとミネアポリスでひしひしと感じた。
今季でもう本当に最後の生産となったスチームローラーに、
「今まで本当にありがとう。お疲れ様。」
と私は一先ず言いたい。
乗ってほしい。知ってほしい。愛してほしい。そのために俺はSURLYに携わっていきたい。
それでは。









































