
THE JAPANESE ODYSSEY 2025
~Archive Exhibition~
12.11~12.15
(PM12:00-PM7:00)
@BLUELUG HATAGAYA
本題の前にご報告があります。
この度、ぼくが参加したThe Japanese Odyssey 2025 のアーカイブ展を開催させていただきます。
ぼくらが見てきた景色の写真、実際に使った自転車や道具たちを展示させていただく予定です。
そして嬉しいことに、ぼくが同イベントに参加するキッカケとなった張本人である山田さとみさんにも参加していただきます。
また、YouTubeや報告会でもお世話になった健太君にも参加していただき、3人のアーカイブ展となっております。
開催期間中はどなたでもご自由にご覧いただけますので、店舗にご来店の際はついでに覗いていただけると嬉しいです。
また、期間中はいつも通り幡ヶ谷店に勤務しておりますので旅のことやバイクパッキングのことなどお気軽にお話し出来たら良いなと思っています。
是非お待ちしております。
それでは、ここからは今日の本題である四国の思い出をどうぞ。
前回みたく、自分の言葉でツラツラとあの時の記憶を綴って行きます。
10月6日(月曜日) ~DAY4~
3日間で九州を出ることになったぼくらは思いの外、順調なペースだった。
ホテルでたくさん寝たせいか目覚めも良い。
今日からどんな景色が待っているのだろうか、と早朝からペダルを踏みはじめます。

写真は出発してからすぐに訪れた愛媛県の大洲市蔵川という地域。
映画のワンシーンに使われるために出来ている地域なのかな?!というほど美しい場所だった。
まだまだ知らない世界が日本国内でも多い、そしてまた訪れたいと思わされた。
写真の左上に人影が写っていますが、この時はサンフランシスコから来ていた5人組と一緒に走れたことも良い思い出。
大洲市蔵川の夕暮れ時はこんな景色だそう。
やっぱりもう1度この景色を見に行きたい。

スムーズにチェックポイントをこなして来たぼくらは、次の目的地へ向かっているといつの間にか山の中へ迷い込んだ。
正しいはずのルートなのに道が分からなくなってしまい、遭難してしまったのだ。
この時、旅に災難は付き物だと分かっていながらも頭の片隅には嫌な予感が生まれていた。

いつの間にか日は暮れてしまい、すっかり夜になっていた。(これがその時の写真)
この時点で一緒に走っていた健太君とも逸れてしまい、最悪の事態に陥った。
やはりさっきの嫌な予感は的中してた。
進み続けても遭難するだけなので、ぼくは諦めて引き返すことに。
下山してから少しすると健太君から着信があり、現状を話し合ってサイクルコンピューターに残っていた記録だけを頼りに分かりやすい場所で合流しようと誓った。(この時、電波は無かった)
数時間後、無事に合流出来て一安心。
四国で一番怖い思いをした場所は間違いなくこの場所でした。

合流したのが22時頃。
走る気力も無くなったので近くの無人バス停で寝させていただくことに。
疲れ切っていたぼくらは、外だろうが気にすることなく熟睡することが出来た。
怒涛の1日だったな。
10月7日(火曜日) ~DAY5~
バス停で起床し、これからどうするかを話し合った。
けどまずはご飯を食べたくて近くにコンビニが無いか調べたが何も無かった。
朝から途方に暮れていたぼくらは、たまたまバスの運転手さんに遭遇。
今は閉店しているけど商店が近くにあるからそこに相談すると良いと聞き、すぐさまその場所を目指した。
結局、閉店していたのだけれども店主の方は快くぼくらを受け入れてくださり食料を与えてくれた。
そして、話していると行きたかったルートはどうやら災害で通れないことが判明。
その道を諦めて大きく遠回りすることを決心した。
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気付けば、ぼくらは通らなければいけないルートを走らずにゴール地点に来てしまっていたのだ。
悔しいけれど、逆走してスタート地点へ戻ることにした。
みんなが通らなければいけないルートだったので、道中は参加者とすれ違う度に何をしているんだと突っ込まれたのも良い思い出です。
Hotlineでご存知の方も多いかと思いますがCooper Rayと彼女さんのPaola Berberとも遭遇。
昨夜の出来事を説明すると、このルートは諦めて一緒に前へ進もうとまで言ってくれた。
一瞬迷ったが、それでは完走とみなされないからやっぱりスタート地点まで戻ることにした。

そんなこんなでようやくスタート地点に辿り着くことが出来、また少しずつ前へ進む。
この頃にはすでにさっきまで近くにいた多数の参加者とは大きく差が開いてしまっていたが、この選択に後悔はなかった。
スタート地点に着いてからも前の集団に追いつく気持ちで必死にペダルを踏み続けます。
朝過ごしていた場所へ夜中に辿り着き、この日のライドは終了。
昨日とは違うバス停で、今夜は仮眠をすることに。
この日も刺激的な1日だったな。
10月8日(火曜日) ~DAY6~
バス停で寝ていたぼくらは早朝、蚊に起こされた。
町の方々も朝早くから活動していて、おはようございますと挨拶を交わす。
周りには一切コンビニがなかったので30km先の道の駅をまずは目標にすることに。

四万十川を横目に朝から気持ちの良いライドだ。
ドラマや映画では見たことあったけれど、実際に真横を走るのは初めてでとにかく圧巻。
2012年にフジテレビで放送されていた「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」という生田斗真さんが主演を務めるドラマはこの場所が舞台だった。
中学2年生だったぼくはそのドラマを思い出し、当時の記憶を振り返りながら走ります。
あの時見ていたテレビの世界がすぐそこにあって不思議な感覚に陥った。

進んでいくと、道の駅や商店が少しずつ増えてきた。
ちょうど長い峠道が始まる前だったので、空腹だったぼくらは腹拵えをすることに。
手作り弁当なだけにその味は絶品だった。

峠をひとつ走破した矢先、さっき食べたばかりのご飯たちは消化してしまいすっかり空腹状態に戻ってしまいます。
上の写真は急遽健太君におにぎりをいただいて休憩していた時の写真です。
猫がご飯をくれと言わんばかりに寄ってきたが、自分のことで精一杯だったぼくは自販機で買ったコーラと共にすぐさまおにぎりを流し込んだ。
猫、ごめん。

そんなこんなでその日に目的としていた場所へ無事に辿り着いた。
峠を登ると、またしても巨大な風車があるではないか。
いつ見てもこの存在感には圧倒される。
一息つきながら、山頂でこれからのことを話し合う。
ここ数日、ベッドで睡眠を取ることが出来ていなかったぼくらはどうしてもホテルに泊まりたくて気付いたらホテルに電話を掛けていた。
そして約50km先のホテルを無事に予約出来た。
ベッドで寝れることを糧にほぼノンストップで高知市のホテルを目指します。

ちなみにこのおにぎりは、道中に立ち寄った商店で急遽握っていただいたおにぎり。
とても温かくて、美味しかった。
感謝しなければ。
店主のおばあちゃん、ごちそうさまでした。

無事に目的地のホテルへ到着。
高知の市街地は都会的だった。
久々に街を感じたぼくらは、物凄く感動しました。
四国に入ってからはずっと山の中だったからなおさらそう思う。
そして、この時点でようやく前の集団に追いつく事もできた。
周りに参加者が居るだけですごく安心したことを覚えている。
10月9日(火曜日) ~DAY7~
いつも以上に疲れが溜まっていたので、ゆっくり起床した7日目の朝。
経過時間を見返すと残り日数は半分も無い。
ホテルの朝食をお腹いっぱいになるまでおかわりし、急いでチェックアウトを済ました。
この日、目標としていたのは和歌山行きのフェリー乗り場だ。
高知市からは約200kmほどだった。

道中、山の中にあったバス。
なぜ、ここにあるのだろうと不思議に思った。

参加者の中で話題になっていた四国最後の商店へ到着。
この先に6つほど大きな峠があるのだが、その道中には自動販売機すら無いと先を行く参加者からのシェアがありいつの間にかこの商店はぼくらのオアシスになっていたのだ。
その為、これからの峠に備えて大きめの食事休憩を取ります。
商店のおばあちゃんは遠慮なくゆっくりして行ってと言ってくれたことも嬉しかった。
お湯をいただいてカップ麺を食べ、村の方々と少し談笑をしたりして良い時間を過ごせました。
先に進まなければいけなかったので30分後には出発することに。

エネルギーを蓄えたおかげかスムーズに京柱峠というチェックポイントへ到着。
夕方ということもあり、景色が最高に良かった。
たまたま海外の女性の方が1人でバイクパッキングしていて、聞くと日本を旅しているという。
彼女は静かに夕日を見つめていて、やけにその光景がカッコよく見えた。
その後も少しずつ前へ進み、寝る間を惜しんでひたすらフェリー乗り場を目指すとすっかり日付が変わっていた。
見返すと、この時は写真も動画もほとんど皆無だった。
10月10日(水曜日) ~DAY8~
京柱峠に辿り着いてからひたすら漕ぎ続けていた訳だが、目標にしていたフェリー乗り場まではまだまだ距離があった。
結局、峠の中でとてつもない睡魔に襲われてしまい仮眠を取ることにした。
コンビニはもちろん、自動販売機も無く、買っていた補給食も途中で無くなってしまい意気消沈。

仮眠を取っていたぼくは、突如近所のおばあちゃんに話しかけられ心配された。
おばあちゃんは気を遣ってくれてあたたかい珈琲、バナナ2本、レーズンパン、オロナミンCをぼくに与えてくれた。
この時、今まで走ってきた中で精神的にも体力的にも限界はすぐそこでイベントのリタイアまでも考えていた。
命を救われたと言っても過言ではありません。
いただいた食材を口にして、絶対に完走しておばあちゃんに改めて感謝の気持ちを伝えに行こうと思いながらフェリー乗り場を目指した。

そしてようやく四国最後の峠を登り切ることが出来た。
本当に色々な方々に助けられてここまで走る事ができたと思うと、走りながら涙がこぼれ落ちた。
あとはフェリー乗り場まで走り切るのみ。
健太君は先に向かっていたので、ぼくも急いで向かった。

そう思った矢先、ブレーキパッドが限界を迎え交換作業をしていたら乗りたかった時刻のフェリーに間に合わなかった。
確実に整備をしたかったから、しょうがなく次のフェリーに乗ることに。
下り坂も多かったせいか約1000kmで使えなくなったのは良い勉強になった。

そして、ようやく目的としていたフェリー乗り場へ到着。
すると、見覚えのある姿が後ろから追いかけて来る。
途中で一緒に先へ行こうと言ってくれたCooper RayとPaola Berberだ。
とても嬉しい再会だった。
あれからの事をフェリーの中でお互い報告しあった。
そして、またここから頑張ろうねと。
時刻は昼過ぎくらいで、疲労も限界を迎えていたのでフェリー内でホテルの予約をした。
ちょうどチェックインの時間になりそうだった事もあり、健太君とホテルで合流しこの日は一旦ステイすることに。
振り返れば、本当に色々あった四国。
今大会1番印象的な時間でした。
お世話になった方々に改めて挨拶に行かなければ。
長くなってしまいましたが、今回は四国編でした。
最後まで目を通していただき、ありがとうございます。
次はいよいよ最終章、和歌山からゴール地点の物語です。
今月中に投稿予定しておりますので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。
また、11日(木)からのアーカイブ展も改めてよろしくお願い致します。
それでは。
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