先日のYouTubeライブはありがとうございました。
昼間だったのに最大170名の方々が同時視聴してくれて、あらためてNittoさんへの尊敬や愛情を感じた日でした。
アーカイブは僕らのYouTubeチャンネルにあがってますので、まだの方はよかったらご覧ください。
あわせて、この100周年のために製作された記念誌が本当に素晴らしくって、これ絶対世界中の人がダウンロードできるようにすべきだよって思いますが、現在のところ関係各位に配るこの印刷物しかないみたいです。
でもすごく嬉しいことに、まさかの皆さんへのプレゼント用で20部ほどご用意していただけることになりました!
どうやってお配りしようか迷いましたが、恒例の #mynitto でのインスタ投稿をいただき、その中からの選出とさせていただけたらと思います。
また今年は100周年という節目でもありますから、 #nitto100th のハッシュタグもいいなーと思っています。
どっちかだけでも、両方でも、付けて投稿いただいた方の中から20名に画像の記念誌差し上げます。
〜2月19日(日)まで〆
会期終了後にNittoさんやブルーラグのスタッフ達で20名の方を選ばせていただき、DMでご連絡できたらと思います。
皆さんのあたたかい投稿をお待ちしています。
(気づいたら #mynitto ですでに6600枚の写真あがってるんですね。数年前にノリではじめたこの企画も皆さんに育ててもらって感謝です。)
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長くなりますが以下は記念誌からの抜粋です。ご興味ある方のみご覧ください。
“1917年(大正6年)12月30日、16歳の少女 藤巻まさえ(後の吉川政枝)は山梨県旭村(現韮崎市)の家を出て東京へ向かうところから、この物語は始まります。”
“600円で売りに出てた鍍金工場”
“とにかく主人は腕がよかった”
“日東とは、常に朝日の登るようにありたいという、私の望みでつけたものです。”
”関東大震災”
“坪3円で130坪の借地”
“銀行のとりつけ騒ぎ”
“大正15年に次男の隆二を出産。生後30日後には幼児を背負って集金にまわるという有り様。(隆二の長男は現社長の吉川章)”
“昭和23年、商工省(現経産省)主催の「第1回自転車性能比較審査」で、NITTOが戦後製作したハンドルが一番になりました。”
“1980年になると、「MOUNTAIN BIKE」という聞きなれない言葉が、私たちの耳に入ってきました。誕生はカリフォルニア、過酷な使用に耐え、ビューティフルなハンドルを日東に作って欲しい。”
“1982年3月8日、トム・リッチーさんやゲーリー・フィッシャーさんが(中略)たくさんの写真を抱えてお見えになりました。”
序盤のパワーワードだけ抜かせてもらいましたが、インターネットには落ちてない生々し過ぎる100年がここに記されています。
Nitto大好きな方々へ適切にお渡しできることを願ってやまないです。
大好きなグラントさんとかも出てます。時の総理大臣やオリンピック選手も。