前回はストラグラーの事を捏ねくりまわしました。
ありがたい事にささやかながら反響もあって、書いてよかったなーと思っています。
という訳で今回はクロスチェックの自由研究。
これも同じく結構骨が折れました…。20年越えの歴史故に、色んな情報がある。
一貫してSURLYクルーから出る口数は少ないんですが、
とにかく色んな人がこのフレームについてレビューしているのを目の当たりにして、
それほどまで様々な人に影響と衝撃を与えていたんだなーという事をこのフレームの歴史の濃さでビシビシ感じました。
クロスチェックをひも解く前に、結構掘ってて面白かったから簡単にSURLYの始まりを昔のカタログを交えながら伝えたい。
遡る事25年前。サーリーの初代ボスの名はウェイクマンさん。
上の写真参照、去年SURLYカタログ2006年日本語版を読んでいて見つけた名前でした。
「え、誰々?!サーリーの初代ボスってデイブさん(上のインタビューの人物)じゃなかったの?」と、
当時この名前を目にした時は目から鱗。
誰なんだろう、SURLYの創始者は。知りたいという気持ちがむくむくと育っていきました。
自分なりにウェイクマンさんを調べる日々。名前の綴りもいまいち辿り着けず、
それらしき人に該当する情報も得られないまま一年の時がたちます。
この度自由研究をしようと思いつき、前回のブログを書くためにSURLYホームページのカタログアーカイブを観ていました。
その時PC横に海外担当カーネルもいて、うおーやべーっ!!と、初めて観るSURLYの歴史に彼も興味を持ってくれました。
得意げにこれが何々で、これが何年のクロスチェックだったんだよーとか言いながら眺めていました。
(このTシャツのSURLYロゴ、どこかで見覚えが…。2001年のカタログより。)
2001年のカタログをスクロールしてスタッフのインタビューページに差し掛かった時、
予期せぬ再開を果たします。
「WAKEMAN」
おえッ?!って奇声と共に画面を二度見してアタフタ。笑顔と驚きの顔が混じった顔でPC前で焦ってました。
そんな自分を驚きと恐怖の視線で見守るカーネル。
やっと見つけた、見つけたぞウエイクマン!!WAKEMAN!!
当時のカタログ自体もかなり冗談じみてて、物づくりは真面目なのに伝え方はどこかラフさが残る感じはこの時から見えます。
これを見ていると今の方がちょっと上品になったかもと思うくらい。
兎にも角にもインタビューページを即翻訳して、この人の人物像を知りたかった。
自分の出来る事と言えばGOOGLE翻訳にかけて言葉の羅列から読み解いていくのですが、
俺の探していた隠れたヒーローであった人物だというのを察してくれて、カーネルがニュアンスも込みの翻訳をしてくれました。ありがとう。
これが上のWAKE MANさんのインタビューを訳してくれたやつ。
ウェイキー、aka ウェイクマン・マジィ。自己紹介をするときは”ウェイクマンファーストネーム”と名乗るかな。
ある女の子と付き合って2週間たった頃に、スコット・ウェイクマン宛でラブレターももらったことあったな。
幸運なことに、歳を取るにつれてみんな細かいことは気しなくなる。だから自分の名前をいちいち説明することは少なくなった。
んなことはどうでもよくて、僕のファーストバイクは16″のRoss BMXだった。
2週間くらい家の外のドブの近くに放置してたら、どっかの輩がタイミングを見計らってパクっていったっけな。
その次の”相棒”はダウンタウンのナショナルオートサプライで自分のお金で買った$24のチャリンコだった。
こいつで十分だった。でも、金持ちの叔母が遊びにきた時、おねだりしたんだ。
「Tuff Wheelsがついていてゴールドのフロントブレーキのマングースが欲しい。」って。
これが僕のトランスポーテーションマニアを目覚めさせた。
自転車、スケボー、バイク、ワゴン、電車、飛行機そして車。僕はあらゆる移動手段に注目し、夢中になった。
それから僕の素敵なレディ、ザ・シュリンプにもね。
僕の今のモットーは、その人が嫌なやつと気づくまではみんなに優しくすること、楽しむこと、
そして自分の気持ちを抑え込まないこと。
自分に嘘をつかない。自分が思っていることをクリアに直接的に伝えること。
ジョークがわからないやつは避けること。
いろんな誘惑に負けない。(ビールと×××はOK) でも、抵抗する行為に飲まれないこと。
我は強く、でもオープンに。
時には気楽に。たまには悪いことしようぜ!まったく!
Surlyは僕らのキャラをそのまま映し出したようなブランドにしたい。
プロダクトも僕たちが使いたいものを僕たちが買いたい価格帯で売る。
僕たちと同じようなマインドを持ったヤツらがたくさんいる事は知ってるし、そいつらに楽しんでもらえたら最高かな!
「おー?!なんじゃこりゃ?!あんまり自転車関係ない!!wwwでもすっごく良いこと言ってる!!www」と二人で笑いました。
でも良い意味で彼らのノリや考え、SURLYの基本理念の始まりともいえる情報がそこにはありました。
叔母に買ってもらった高級BMXが全てを変えたというのもなんだか興味深い。笑
文章で残っていたSURLYスタッフの古い言葉を知れたこと、
WAKEMANさんがSURLYをイメージできる人物像の人間であったことが嬉しかった。
その調子でwakemanさんを調べていましたが、
このままだとあさっての方向にブログが進んでしまうので軌道修正。
総初期のメンバーはそんな彼を加えた3名だったようで、
その中には先に出てきた2代目ボスのDAVE GRAY(なんとあのPUGSLEYを作った人!!)と、
HURL EVERSTONE(写真中央のピンクシャツにカットオフベストの方。cars-r-coffinsというzine、自転車文化をちと過激な表現で推進していたPUNKな方、一説にはCROSS CHECKやSTEAMROLLERを世に送り出した方とも書いてありました…。)
という濃ゆいメンツでスタートしたそうです。
その後WAKEMANさんと、HURLさんが破天荒に引退し、Daveさんがボスの時や、
PETERさん(写真左、とても日本語がうまい高身長な方)を新たなボスに多くのスタッフが加わり、
そのうちの一人、NICK SANDEという方は後にCIELOのプロダクトマネージャーになったりと…。
(すいません、掘ってたらいつまで経っても本題にいけないのでここらで一旦ワープします。)
で、今のボス、PAULさんになります。でも調べているとファーストプロダクトのシンギュレーターの説明文にも彼の名前らしきものが出てきて混乱…。
などなど調べて朝を迎えてしまいました。
これは次回までに分かったことがあれば伝えれるようにもう少し調べてみます。
そして本題のクロスチェック。
現在の紹介文にはこうあります。
Cross-Check は、どのような路面でも 驚異的なパフォーマンスを発揮する、 頑丈で用途の広いロードバイクです。
何でも出来る、スチール製通勤バイク
なんでもできちゃうバイクなんてないけど、Cross-Check はかなりいい線いってるんだ。それは頼りになる通勤の供であると同時に、実用的なトレーラートラックだ。「砂利用のバイク」が存在するずっと前から「砂利粉砕機」だったんだ。何人かのやつは、それを使ってシクロクロスをレースをした。とはいえ、そんなやり方を絶対に容認するっていうわけではない。
Cross-Check は俺たちが今までに発売した中で、完璧なバイク第一号だ。それ以来、彼らのライディングスタイルや好みに合うように、違った方法で何百っていう回数の修正をした。これまでに Surly で働いたことのあるやつ全員が、これを所有しているのには理由があるんだ。
とにかく何でもできちゃう、か、も、知れないバイク。
これは前回お話したStragglerと通じますがどこか不器用な謙虚さが。
そりゃ元になったフレームですからね。
「シクロクロス」というワードが出てきますが、
BLUELUGをフォローしてくださっている方ならパッと思い浮かぶ車種かも知れません。
僕はいつも初めての自転車購入などの接客の際シクロクロスバイクはなんですかと聞かれた時、
泥道や荒れた道をレースで走る為のロードバイクみたいな物ですと説明しています。
ダンカンが上の写真で乗っているのがいわゆるレース用シクロクロスバイク。
クロスチェックと同じ面影が確かにありますね。
Via ziggy’s cycle
そのシクロクロスの歴史は古く、1902年からそのカルチャーらしきものがあるそうで、
冬などのオフシーズンにロードレースを主とした自転車競技者達がトレーニングとして、
牧場や畑の中を走った事で生まれたジャンルだと言います。
Via nicrestrepo
その後世界大戦などの社会不安を越えて1950年に世界選手権が行われるようになるなど、
現在のシクロクロスに通じる基盤が作られ、
日本では1983年に日本人ライダーがいたそうです。
自分の地元の近くでもある長野県原村で1996年に全日本選手権が行われていたりと、
スポーツ自転車代表格のロードバイクとマウンテンバイクの存在のデカさもあって意外に知られていませんが、
シクロクロスのムーブメントは脈々と深い根をはり世界各地で育っていました。
そんなシクロクロスをバックボーンに持つCROSS CHECKが生まれたのは1999年でした。
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Spinergy wheels, flat bars, 45c tires and mountain bikes were all allowed, but the racing was still a slippery, competitive affair. 1995 Cyclocross National Championships. © A. Yee
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Northern California-based racers Don Myrah and Justin Robinson braving the New England snow. Robinson still races, and landed two podiums in Hartford, 21 years later. © A. Yee
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Wiejak stormed to a National Championship in Leicester, Mass. © A. Yee
Via cx magazine
この少し前、アメリカでもシクロクロスがブームだったのか、さまざまなアメリカブランド達がレースフレームを作り、ライダーをサポートし、各地でレースを行っていたようです。
成長期だったのか、MTBで出走しているライダーも少なくないのが印象的。
(スピナジーでクロスレース!)
SPECIALIZED、 CANNONDALE、FUJI、TREK、LEMONDなどの有名ブランドはもちろん、
RITCHEYやGARY FISHERといったMTBからのブランド、HARO、REDLINE、GTなどのBMX畑のブランドなど、
様々なブランドがクロスオーバーした中でこのムーブメントは日に日に熱を帯びていったのだと思います。
(当時のレースの出走表などを見てみるとKONAやVOODOOといった名前も出てくるのですが、この辺のブランドの歴史も気になってしまう。)
そんな中、アメリカンハンドメイドのビルダーもレースチームを作り参加したり、
フレームをライダーに供給したりしていました。
MERLIN、LITESPEED、KERRY、RICHARD SACHS、
そして僕らも馴染み深いINDEPENDENT FABRICATIONなんかも。
掘っていたらこんな動画を見つけました。
その当時のレース映像が残っていたので是非観てほしい。その当時のセッティングやバイクの雰囲気がよく分かります。
やはりレースバイクならではの「速く走る」為のバイクが当然多いですね。タイヤも32cってそんなに細いっけ?ってぐらいタイト。
変速機も様々で、デュアルコントロールレバーもいますがバーコンのレーサーなんかもいます。
wレバーで悪路を走るのは確かにムズイ。
(IFのチームが当時から独特のセンスがにじみ出ていてかっこいいのと、Jenという女性ライダーが可愛い。)
こういったバイクがベースとなって、SURLYクルー達のイマジネーションと理念がミックスされてCROSS CHECKが出来た訳です。
これは超憶測の話になるのですが、95年にあるライダーをサポートするビルダーがいました。その名も「hot tubes」。
(今も有る同名のペイントファクトリーと関係あるのかな?)
Via CX magazine
そのライダーが雪のコースで使用したと言われるのがパナレーサーの45cのタイヤ。
ソースにはSMOKEと書いていましたがファイヤークロスなんじゃないかと思っています。
そのタイヤを飲み込めるフレームを作ったビルダーだそう。
そのブランドのクロスフレームがこちら。カッコいい。
Via the pace line
こういった、設計に自由度の利くアメリカンハンドメイドフレームからのインスパイアも、surly達に少なからずあったんじゃないかなと想像を掻き立てられます。
SURLYとの直接的な関わりは見つけられませんでしたが、その当時のハンドメイドビルダーとのつながりは何となく想像ができます。
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ファーストロットはスレッドタイプのステムで、パイプもレイノルズを使っていたそうです。
貴重なそのフレームを現WILDEのジェフは以前インスタで挙げていました。
これが恐らくファーストのクロスチェック。
この時は泥除け用のダボしかなく、
今のものと比べると確かにレースバイクベース感が漂うソリッドな出で立ちです。
とはいえ、ただのレースバイクを作るハズがないSURLY。
昔のカタログからの引用と、直接聞いた話を交えて説明すると、
その当時、シクロクロスフレームといえばヨーロッパ製などの研ぎ澄まされたレースフレームしかなかった。
でも僕らの住む街ではロードフレームよりかはシクロクロスフレームの方が路面にも気候にも適していたので、
そういったバイクをコミューターなどにして乗っていたけど、
ポキポキ折れるし、買うと高いし、なんとかならんかなというのがきっかけで、
それじゃいっその事作ってみよう、歴史有るシクロクロスの伝統は受け継ぎつつ、
レースにも出れるけど、シングルにも簡単に出来て、レース以外の遊び方も出来る様にするには…という風に、
ジャンルを守りつつもその範囲内で目一杯工夫や遊びを取り入れてみた結果があの形になったんだよね。
1×1から始まり今でも変わらないSURLYイズムの代名詞、FATTIESFITFINEはこのフレームで45cのタイヤクリアランスを実現させ、
この時代の人ならヤラレタ!!と思ったであろう「Gnot−Rite」というマルチパーパスのエンド幅と形状。
でも伝統的なシクロクロスの美しいフレームワークとディテールは踏襲しながら、
42cm〜62cmという小柄な方からおっきい人まで乗れるサイズ展開で、
このカルチャー、そしてSurlyへの間口を広げる働きにも。
(昔はかなり刻んだサイズ展開だったのを発見しました。48cm見てみたい!)
今でももしこれぐらいシンプルに画期的な事ばかり盛り込まれたフレームが出たら、
誰もが、えええっ!てなるような事だったのでは。
当時の自転車乗りからしたら、その感覚なんなんだ?という人と、
そう、それだよ!!という人もいただろうな。
(当時のアメリカ自転車ポータルサイトのクロスチェックのレヴューを見ていて面白かったのが、総合評価は高いのに皆共通して「重い」と口を揃えていました。笑)
レーススポーツバイクが多かった時代の中では当たり前の反応だったんだろうなと思いつつ、
今まで基本理念を曲げずに突っ走ってきたサーリーがやっぱかっこいい。
その後すぐにアヘッドタイプのステムに変更されますが、ラックダボが付く様になるのは2003年。
フォークも地味にアップデートが繰り返され、現在の仕様になったのは2015年と、割と最近まで進化していました。
名前の由来は、素となった車種の「シクロクロス」をモジったのは連想出来るのですが、CHECKの部分はなんじゃいとなりますよね。
用語としてクロスチェックというのがあるそうです。
多角的にチェックする、一つの物事を各々がチェックするという意味だそう。
この目線からも、その目線からも、どういった風にも受け取れるバイクだよね。
答えはきっとその人それぞれでもあるし、
でも実は本当に僕らがやりたい事、作りたいものを、
触って乗って理解し始めた人には、同じ答えっぽいのが見えるかもね…。
的な意味もあるかもねーともはぐらかされました。
始祖は1×1なのはまちがいないけど、今あるSURLYの多くの車種へ繋がるイズムは、
本当にこの車体から生まれたんだという事を改めて気づかされました。
ベースになる車体へのリスペクトは忘れず、その中で如何に彼ららしさと遊び心を詰め込み、
でも崩し過ぎないよう絶妙なバランスを保ちながら物づくりをしていたし、
今でもそうなんだと、調べる内に理解出来そうになった。
この理解出来そうになったというのは、
分かられてたまるか、謎のままでいいじゃん。ていうか気にすんなよそんなの、直感的に自転車に乗ってなんでも楽しんでよ。
ってSURLYに言われているような気がして、っていうか調べるのもやめた方が楽しいのかとすら思いました。
自由研究どうすんのよ。
何はともあれ、
今日もあなたが当たり前に乗ってるクロスチェックはただの自転車でもあり、
歴史の1ページでもあるバイクだよという事を知って、
よりCROSS CHECKを好きになって、良い気持ちになって欲しかっただけです。
もう持っている人も、気になっている人もね。
何にでもなれる、昔からいる影のヒーロー、クロスチェックの話でした。
次回は何が書けるかな…。
調べ物がとっ散らかっているので整理してまたお話できたら。
と言うわけで今日はここまで。それでは。