こんにちは。金子です。
今は無き1×1のサンプルバイク、「RAT RIDE」。
一生の忘れないだろうな。SURLY正真正銘のファーストバイクに乗って、このブランドが生まれ育った場所を走った事を。
今思えば、あの日を余す事なく遊べた事、他のバイクに乗ろうともしなかった事に、ふと気づきました。
彼らSURLYのファーストプロダクトは、今では当たり前のように売られている、シングルスピードテンショナー。
“アメリカ中西部の伝説的なシングルスピード乗り、ピート・ギーグルは、君みたいなシングルスピード処女があまりお金をかけずに純粋なマウンテンバイク経験を味わえるように、1×1 Singleator を開発した。”
SURLYのサイトからの抜粋だけど、本当にそうだったみたいです。
ミーティングで彼らが話してくれた事を少しだけ。
1990年代後半、ハイテクになってゆくマウンテンバイク。サスペンションもディスクブレーキも少しづつ世に出回るようになって、
多くの人に認知されていく反面、どんどんスポーティに、高級なモノに、小難しいモノになり始めていった時代。
時代の流れは分かるけど、俺たちはな…って人は少なくなかった。創成期SURLYのメンバーはそういった人たちの集まり。
RitcheyやSpecializedなどの昔から乗っているクロモリフレームをシングルスピードにして、
トレイルライドで鬼ゴケしても、帰り道でバーにビールを飲みに行けるような、
「遊ぶ」ための丈夫で楽しいバイクを作って楽しんでいた。そうやって遊んでいたら、どんどん仲間が増えていった。
自分たちで工夫してバイクをシングルスピードに改造してれば改善点も見えてくる。じゃあ形にしようと生まれたのがこの商品なのだとか。
小さくとも力強かったそのムーブメントは、やがてはっきりした大きな形として伝説的フレームを産み落とすこととなる。
それがRAT RIDEであって、後の1×1。SURLYが大きくなっていく一つの要因だった。
その後にcross check、steam roller、instigator…と今までのフレーム全て、
彼らがその街で過ごすのに、遊ぶのに必要だなぁと感じたものをすぐ動いて形にしていった。
(我が相棒のsteam rollerは2000年に誕生、1×1、cross checkの次に古いという事を知りました。)
すごくビックリしたのが、RAT RIDEのフレームから現在まで、ずっと変わらぬ工場で生産しているという事。
21年間共に、時間と労力を費やして来たからこその素材選び、製造ノウハウが今に生きているのだと感じると胸が熱くなった。
クロモリにこだわる理由、まず壊れても直せるじゃん。って言葉が真っ先に来て、なんてアメリカ!と思ったし、
そこまでしてでも愛情持って乗れるプロダクツしか作ってないぜっていう自信とも受け取れた。
それからはpacer、karate monkey、long haul trucker、pugsley…と、今では聞いたらなんとなく形が思い浮かぶ、馴染みのモデルたちが続々と誕生。
そして今もなお、移り変わりが激しい世の中で彼らなりの目線の、これ必要だよな…。て物が形になって今日があります。
僕がいつもお店で接客していて、(ここまでやるか!)とか、(この規格でこれ作るか!)とか思っていた部分は、彼らの使い方や、基本理念を直接見てきたからこそ納得できるし、お客様に胸を張ってお勧めできるようになりました。
「真剣に真面目なバイクを作ってる。不真面目な人達のために。」
そう彼らが言っていたのがこの旅にして、俺のSURLY人生一番のハイライト。
ぶっ刺さりました。
まだまだ伝えたい事たくさんあります。
このままブログで書くには年末まで掛かるんじゃ…ていうのと、実は書くよりも喋りたい派です。このまま自分の中にずっと溜めれもしなそう。急遽今日の昼に決まりました。
時間書き忘れた!昼の11時から13時まで。
ど直球に金子のお喋り会です。やかましいし話が宇宙まで飛んで行って帰ってこない時もあります。でもどうしても喋りたい。
質問、野次、飛び入り歓迎。写真も交えて、各ブランドの事、ミネアポリスの事、出会ったナイスガイ、ナイスガールの事。
伝えたい色んなを出来るだけまとめて、でも純にお話ししたいと思っています。
幡ヶ谷店初ライブです。緊張してきた…。それでは。