嬉しさが後からジワジワと襲ってきた。ミネアポリスから帰ってきてからの方が、
この特別なフレームに惜しみ無く協力してくれたSURLYに対しての感謝が募る。
改めてスケジュールをリマインド。
==SURLY × BLUE LUG 20th Steamroller ==
Steamroller Frame set:132,000円(税込)
店頭販売:11月2日(月)
オンラインストア販売:11月8日(日)19時
そして僕の手のひらに急に振り落とされたバトンは、高剛性で軽量。でもなんだか重かった。
FRANK&BEANカラーのSTEAM ROLLERのやりとりが水面下で進む中、
かたや日本の埼玉県川口市では、とあるハンドルの復活の為、ある企業が尽力してくれていた。
SURLY Torsion handle bar
まさかのあのハンドルの復刻。「トーション・バー」と読みます。
SURLYの事が好きな若い世代だったら、伝説のハンドルかもしれない。
25.4mmハンドルクランプ、15°のバックベンド、666mm幅、クロモリ製だけど、意外に軽いフラットバーです。
(ハンドル幅が不吉すぎていつか事故るんじゃないかなとドキドキしながら使った過去を思い出す。)
僕らも、作ってくれたNITTOさんも同じようなタイミングで発起したような覚えがある。
オリジナルのこれを急に持ってきてくれたKATOさんと、これ一本の事だけでひと盛り上がりしたのは良い思い出。
ただの一文字のハンドルなのに、何故にこんなにも僕らを魅了するのか。特別深く考えたことはなかった。
初めて出会った日も、再会した日も、こんなに色気も無く無骨な雰囲気なのに、
どの時代でも本当に、最高にちょうど良くて手に馴染みの良い不思議なハンドルだった。
良い機会だからこのハンドルについて、これをみている人と共に知識を深めようと思う。
1998年にアメリカミネアポリスで始まったSURLYの物語。
90年代末期のスポーツバイク、マウンテンバイク文化に対するカウンターかの如く現れた「1×1」。
この時はまだSURLYという名前じゃ無かったという話はご存知だろうか?
俺もこの度の出張で改めて話を聞き、今回ちゃんと理解した。
同じ時に生まれた数々のパーツがあった。シングルハブに、バッシュガード…、
その中の一つがこのハンドルだった。
「NITTO製、ワイドで、フラットで、4130クロモリ(鉄の種類)で作った。」
「どんなderbyのシチュエーションだろうと、圧倒的なアドバンテージを得れるバーだ。」
「15度のベンドで、24.5インチ(約620mm)幅。」←最初はちょい短かった。
「この快適な形はLAID-BACKな乗り方への近道。フラットトラックへ遊びに行こうぜ。」
この商品説明を改めて読んだが、
今回の出張でSURLYメンバーに連れて行ってもらったトレイルや道の数々が頭に浮かぶ。
暮らし、遊ぶ場所は人それぞれ。生活の中で走る道、楽しむトレイルも同様だ。
起伏の少ない地形。使われていない廃線が繋ぐ街々。その間にある豊かな自然。
この場所でマウンテンバイクを“遊ぶ”為に作られたハンドルなのかも知れない。
その観点から時代を紐解いてみよう。
その1998年、アメリカでのマウンテンバイクはこんな様相だった。
技術の進化に多くの人はロマンを感じた事だろう。
この当時、僕は10歳だった。
思い返せば、
テレビで流れていた断片的なマウンテンバイクの映像や雑誌に掲載されていたフルサスのバイクを見て、
大人になったらこんな自転車に乗ってみたいな!と思いを募らせていた記憶がある。
(中学生になる時、祖父母にお願いしてGIANTの黄色いマウンテンバイクを買ってもらった記憶も蘇った…。)
この時のハンドルといえば、
短く切り詰められ、軽量化され、バーエンドバーを付けたクロスカントリー向けの物や、
ダウンヒルバイクに進化の波がどっと押し寄せて、ライザーバーと呼ばれるハンドル達が覇権争いに加わり始めた。
いわばスポーツ用品としてのハンドルが人気だった様子が、当時のカタログなどからも見て取れる。
Surlyのウェブサイトにはこんなコンテンツがある。
彼らが作ったモノづくりの中で思った事、気づきを吐き出す場所だ。
その中には過去に「BARZ」という項目があった。(リンクは貼らない。自力で探してみると良いです。)
中を覗くと、当時のハンドルバーについて、彼らが当時に思う事が、山のように書き連ねられていた。
“ライザーバーは最高のハンドルだと思う。”
“しかしフラットバーだからこそ出来る、細やかなアジャストや丁度良さを今一度頭に入れておかないか?”
“ライザーバーは値段もポジションも高すぎる時がある。そして丈夫過ぎたり幅広過ぎたりもする。”
“今の流行りの形であるかも知れないが、果たしてそのハンドルがあなたの乗り方にフィットしているのか?”
などの様々な目線で見たハンドルの事を、なかなか回りくどい言い回しで吐露していた。
ライザーバーを貶めない、むしろ好き、でも!と、
どちらのハンドルと文化にも愛があるからこその伝え方なんだと、
出会ってきたSurlyメンバー全員に感じる「物事に対する多角的な目線と理解、葛藤。」のようなものを感じ取れた。
色んな文献をガサゴソ掘りながら、同時にカメラロールを掘り返していたら見つかった。
これはライダースジャケット×メッセンジャーバッグで大晦日に自転車で帰ろうとした時の写真だった。
奇しくも1×1に付けていたんだな。
まだ、他にもこぼれ話があるかなと現SURLYスタッフに聞いたところ、
リリース当時の事はさすがに分からないなぁという感じだった。
僕は少し緊張しながら、ある人にメッセージをした。
そのある人とは、先日の谷さんのブログでも紹介されていたWAKEMANさん。
そして、彼がSURLYの物語を始めた内の1人である事は、過去のブログを見て貰えたらお分かり頂けるかと思う。
昔の事ばっかりそんな聞いてこないでよー!って思われるだろうなと、ドキドキしながら返信を待った。すぐに返ってきた。
まじか!OK!めっちゃ良いじゃん!とその当時の昔話を沢山教えてくれた。
以下がその昔話。
まるで伝説を読んでるみたいだった。
ミネアポリスのアンダーグラウンドなバイクカルチャーは1998年がまさに全盛期だった。
一癖も二癖もあるmtbライダー、メッセンジャー、コミューター、bmxライダー…。
ちょっと普通じゃない自転車に乗った元気な奴らが集団になっていたんだ。
みんなで毎週水曜日の夜は決まってライドをした。
ただ集まり、目的地をその場で決めて、思いっきり暴れ回るようなライドだった。
どの季節でも、線路もアスファルトもトレイルも沼地も走り回り、
母ちゃんには内緒の場所で数々のバカな事をして真剣に遊んだよ。
今思えば本当に若くて破天荒だった。でも翌日の木曜日にはちゃんと仕事が出来る程度にはまともだった。
これらの遊び回った多くの経験が、多くのアイデアが湧き出る泉だった。
それが、「SURLY BIKES」のルーツというわけだ。
まだ「SURLY」という名が無い頃、「1×1」という名前でsingle speedのパーツを作っていた。
品質最高。強くて、安い。
そんな付加価値があってこそ、多くの意味で「楽しむ」為のモノづくりを念頭に、色んなものを作った。
当時流行っていた流行のパーツ達とは少し違う目線、
気負わず遊べるバイクの為に良いものを作ろうとしていたんだ。
そして、あるアイデアに大きく寄与した激しい遊びがあった。
それが「DERBY」だ。
みんなで自転車に乗り、走りながら小さなサークルを作るんだ。
小さなオーバルレースみたいなものだ。大勢がそこをぐるぐる回るのさ。
その中で最後まで自転車に乗っていられたやつが勝者。
体も自転車もガンガン当たる。やってる奴らのヘルメットもハンドルも自転車も傷だらけだった。
時にバイオレンスな日も、お遊び程度の日もあったけど、そんなDURBYにずっと夢中だった。
んで、当時のハンドルといえば…、お世辞にもこのお遊びに耐えられるような代物は本当に皆無だった。
ハンドル幅は狭い、軽量化の為にペラペラ、スピード勝負には良いかもしれないが手首に悪いお情け程度のベンド…、マジで俺らの遊び方では使い物にならなかった。
それらは「スポーツMTB」のライダー達を満足には出来たかもしれないけど、僕らにはフィットしないように思えた。
日常で「調子の良い」大きなスウィープと、力強く「遊び」で勝ちをもぎ取る為の強度と幅。
それがあれば、
街と自然の行き来を気持ち良く走れて、
遊びまくってもぶっ壊れる心配なんて無い。
そうして生まれたのが「TORSION BAR」だったのさ。
当時は風変わりなハンドルだったのかもしれないな。長くてベンド強めで日本製の鉄ハンドルだ。
めっちゃ人気でバカ売れしていた記憶は全然ない。
でも、「これが本っ当に最高…。」っていう人たちもいたよ。何本も買い足してるようなやつも。
とにかく病的に、このハンドルの事を「愛して」くれていた人間がいたんだ。
NITTOには本当に感謝している。リリースしてから多分15年?ぐらいずっと作り続けてくれた。
そして、今でもオリジナルが使われ続けていたり、誰かの手に渡り受け継がれているのを目の当たりにするのはやっぱり嬉しい。
なぜなら、ちゃんとフィットする人間がいて、頑丈で長持ちだったっていう証明だから。
あの時NITTOに頼んだのは間違いじゃなかったと本当に思える。彼らは最高だぜ。
PS.ヴィンテージマッスルカーは好きか?このハンドルのネーミングは、
MOPARってパーツブランドが昔出していたサスペンションパーツから名前を拝借したんだ…。
まるで98年のミネアポリスにタイムスリップした気持ち。
しかし不思議と懐かしく感じる事は無い。
今回出張で見て、聞いてきた今のSURLYの理念と変わらず、この時代からずっとそうだったのだ。純粋に感動してしまった。
本当にありがとうございます。wakeman。
地元のリアルな遊び方から着想を得る。
リアルタイムの自転車カルチャーを俯瞰してみる。
それをミックスする、分解する、繋ぎ合わせる、
そしてそれを散々考えた末に、一つの形を作る。
今も昔も、この感覚がSURLYなんだ。
たかがハンドル一本ですら、そのフィルターを必ず通す面倒くささ。
ただただかっこいい。
ちなみにNITTOの社長さんにも、
勤務するKATOさん経由でこのハンドルを作る時にミネアポリスに訪問したというお話も聞けた。
1×1に乗った事。
このバイクにつけて乱暴に乗るから、メッキ仕上げでとにかく頑丈に作ってくれっていうSURLYらしいオーダーだった事。
当時NITTOらしくないロゴの入ったハンドルだと、一部の小売店さんから病的に好評だったって事。
本当に当時から変な魅力を醸したプロダクトだったというのが、数々の思い出話から滲んでいる。
いつものように長くなってしまったが、
このハンドルバーも、20thスチームローラーフレームと同時発売。
今日のブログは、
このハンドルが復活するけど、昔から変わらず、誰かにとっての最高のものだったんだ。って事さえ伝われば良い。
こちらはBLUE LUGにて限定発売。
海外の方はBLオンラインから注文可能です。
以下発売スケジュール。
==SURLY × BLUE LUG torsion-bar bl20th==
torsion-bar (dull plating)&(black):11,000円(税込)
店頭販売:11月2日(月)
オンラインストア販売:11月8日(日)19時
それでは。






























