皆さんこんにちは。
幡ヶ谷店のカイセイです。
本日はThe Japanese Odysseyの最終話を綴らせていただきます。
前回の#2 ~四国編~がまだの方はお時間あるときに覗いて見て下さいね。
今回も写真とありのままの言葉で綴りますので、是非最後までお楽しみ下さい。
10月11日(土曜日) ~DAY9~
無事に健太君と合流して現状を報告し合った昨夜。
徳島県の峠以来だったので、そこまで時間は経過していなかったけれど久しぶりに会った気がして話が弾んだ。
和歌山県のセグメントとチェックポイントはどうしよう?と話を始めるも、彼はここからゴール地点までは最短ルートで行くと決めていた。
ぼくはまだ諦めきれず、これからのセグメントとチェックポイントを少しずつ達成して行こうと意気込んでいたところだった。
これまで切磋琢磨、励まし合って頑張っていた事もあり少し寂しい気持ちに。
でも、クヨクヨしてられない。
まずは、S12という今イベントで1番過酷なルートであろうのスタート地点を目指します。(206.9km 、6,184m UP)

– 昨夜、寝る前の1枚 –
無事にスタート地点に到着してすぐの事。
久しぶりにパンクしてしまった…。
どうやら何か異物を踏んだみたいだ。
すぐさまパンク修理を済ませ、気を取り直して前へ進みます。

山頂付近へ着くと、またしても素敵な景色に遭遇。
山と空と雲、そこから見える景色の全てが美しく見えた。
向こう側にある山のてっぺんと同じ目線になると、たくさん登ったなと達成感を味わえる。
これは頑張って登った時のご褒美だ。
そしてBOMBORAも相変わらず調子が良い。
ここまで走ってくれて頼もしい限りです。

先程のパンクから約2時間後、またしてもパンクをした…。
S12はまだ50kmしか進んでない。
残り150kmもあるし、途中はグラベル区間もある。
最後のチューブを手に取り、いつものようにチューブ交換をする。
修理をしながら、予備のチューブが無くなったことが頭から離れない。
この先でパンクしてしまうと山に取り残されてしまう。
とても怖かったけど、ケセラセラ精神で前へ急ぎます。

パンク修理を終え、17時頃に出発したのだが少しずつ日が落ちてくる。
野宿できそうにもないくらい周りには何も無かったし、精神的にも落ち着きたくて近くに宿がないか探した。
調べていると、約20km先に温泉郷があるではないか。
その名も龍神温泉郷だ。
どうやらそこは美肌効果の高い泉質で日本三美人の湯のひとつに数えられるみたい。
真っ暗闇の中、夜な夜な動物たちの鳴き声を聞きながら無事に到着。
温泉郷に着いたのは良いものの、宿を決めていなかったぼくは近くの旅館に片っ端から電話をかけた。
5軒目くらいでたまたま一部屋だけ空いている旅館があり、すぐに行きますと伝え、宿へ向かった。

10月12日(日曜日) ~DAY10~
無事に旅館へたどり着いた矢先、温泉を満喫してすぐに寝落ちをしてしまっていた昨夜。
宿は季楽里龍神という所で、温泉はもちろん建物もカッコよく、贅沢な時間を味わい精神的にも癒された。
次はリフレッシュ休暇でゆっくり伺いたいな。

朝一番で朝食もいただき、たくさんおかわりしてお腹を膨らませます。
この先どうするかを考えながらご飯を口にしていた。

支度を終え、出発の時が来た。
セグメントを走り続けるか、諦めるかギリギリまで悩んだ結果、悔しいけれどS12は諦めることにした。
同時に残りの全てのセグメントとチェックポイントを一旦無視してゴール地点に向かうと決心した瞬間でもあった。
まずは、街に出て予備のチューブを買い足さなければ。
奈良県の十津川村を通り、そこから三重県の尾鷲市を目指す事に。
なんとなく、自転車屋さんがありそうだったのと海沿いだったので少しでも街かなと思って直感でルートを決めた。

誰とも話さない、写真を撮ることさえも極端に少なくなっていたぼくは、工事で使われるであろう重機の写真をいくつか撮っていた。
なぜ撮ったかは明確に覚えていないが、多分、人工的なものに温もりを感じていたんだと思う。
人と会うこと自体少なくなっていたこともあり、その時のぼくは本当に寂しくなっていたのかも。
それにしても山の中で見るせいか重機のカラーリングがよく映えてカッコよかった。



そんなこんなで無事に山の中から解放されたと思ったら、今度は湖が現れた。
この場所もものすごく静かで、湖が山たちを反射していて神秘的だった。
多分2度と訪れない場所かなと思って、記念に1枚パシャリ。

少しずつ周りに建物が増えてきたと同時に綺麗な夕焼け空を見て元気を貰った。
山の中にいるときよりも気が少しだけ楽になって思わずセルフィー。
それにしても自転車屋は見つからない。
多分まだまだ無さそう。

一方その頃、健太君は和歌山から名古屋まで走ってCirclesさんに辿り着いたと連絡をくれた。
正直、めっちゃ羨ましかった。
スタッフの方々とも会って話せただろうし、ぼくも皆さんと久しぶりにお会いしたかった…。

まさかのEARLY BIRDSさんのご飯を食べているとシェアがあった時は羨ましいどころかぼくも路線変更して名古屋に行くか迷ったくらい。
現実的に今の自分は自走では向かえないので諦めるしかなかったけれど、また伺いたいと強く思った。

そんな健太君の報告を楽しませてもらいつつ、ぼくはゴール地点へいち早く辿り着きたく、この日も夜な夜な自転車を漕ぎ続けます。
そして、トイレ休憩がてら立ち寄った道の駅で少し休憩をすることに。
ベンチで休んでいると、1台の車が駐車場へ入って来ます。
どうやら旅人っぽい。
車から出てきたおじいさんはぼくの事をアジア系のツーリストだと勘違いして英語で話しかけくれた。
日本人だとわかり、イベントに参加していることを伝えると、どうやら気を許してくれたみたいでいつの間にか1時間ほど話をしていた。
話を聞いていると長野から車を走らせて旅をしているとのこと。
おじちゃんもお喋りだったけど、ぼくも人と話すことが久しぶりだったのでついつい気持ちが高揚して話を続けていた。
本当に優しい人で、去り際には100円ショップで買ったヘッドライトを腕に巻いて行き!と言って譲っていただきました。
ぼくはお守りを身につけた気がして、嫌な時はおじちゃんのことを思い出して頑張ろうと思った。
元気が出てきたので行けるところまで行く事にしたぼくは、なんだかんだ道の駅から約100kmほど走り続けて、目標にしていた鳥羽フェリー乗り場の近くまで来れた。
おじちゃん、本当にありがとう。

– おじちゃんにいただいた柿 –

– おじちゃんにいただいたヘッドライト –
10月13日(月曜日) ~DAY11~
昨夜は、フェリー乗り場近くに快活CLUBがあったのでそこへステイしました。
3時間ほど仮眠をし、早朝にフェリー乗り場へ足を向けます。
昨夜の追い込みもあり、数名の参加者と久々に再会することができた。
フェリー乗り場で調達した手作りサンドウィッチを頬張りながら、現状を報告し合った。
そんなこんなしていると、あっという間に愛知県の伊良湖ターミナルへ着きました。

結局、自転車屋さんに伺えていなかったので伊良湖に着いてからまずはチューブを買いに行こうと決めていた。
そして、無事に2本のチューブを買いこれで最後まで頑張ろうと気持ちを改め、前へ進みます。
昨夜は3時頃まで走り続けていた事もあって体力的にキツかった事もあり、夕方には走ることを辞めて近くのホテルにステイする事にした。
名古屋の新城市というところでステイしたのだけれども、途中田んぼ道に案内されることに。
天気も良くて、気持ちが良かった。
少しだけ故郷に似ていてエモーショナルな気持ちになった瞬間だった。



そんな田んぼ道を走り終えるとすぐに今夜の宿へ着き、空腹に襲われていたぼくは迷いなくご飯を「特盛で!!」と伝えると、予想以上にとんでもない量が運ばれてきました。
少し調子に乗りすぎたと後悔。
けれど、ご飯はどれもとても美味しかったです。
何より女将さんが優しさに溢れていて心が温まったホテルでした。
昨夜の疲労もあり、夕食を済ませた後はすぐに寝ることに。

10月14日(火曜日) ~DAY12~
いよいよ残りわずか。
この日は、ゴール地点の松本市の近くである伊那市を目指した。
なんだかんだで、140kmほどあったのでいつものように早起きをして走り始めた。
写真フォルダを見返していると、朝に撮った1枚しか写真が残っていないではないか。
顔がとても浮腫んでいて、なんだか疲れが溜まっていそうだけど気持ちは負けていなかった。
しかし、この日はとにかくずっと雨で最後伊那市のホテルに着く直前は手足が悴んでいたけれど、なんとか大雨の中走りきって目的地へ到達することができた。
ホテル到着後はすぐに大浴場へ直行して体を温めた。
疲労が勝って夕食を摂ることも出来ずに就寝した。

10月15日(水曜日) ~DAY13~
いよいよジャパニーズオデッセイが幕を閉じようとしている。
今日でゴール地点に辿り着く予定だ。
出発前に毎日撮っていた写真も今日が最後。
昨夜、よく寝たからか顔が少し回復しているように見える。
残り50kmほど、気を抜かずに安全運転で行こうと決めてホテルを出発した。

そして、このタイミングで初日から毎日お世話になったGIROのGLOVEを片方無くしていた事に気付きます。(恐らく昨夜大雨の時に外した際に落としてしまった)
ショートフィンガーのグローブには正直抵抗があったのだけど、これ無しでは掌が守れていなかったと思う。
感謝の気持ちと共に、記念に1枚パシャリ。
12日間、ありがとう。

そして無事に伊那市から松本市まで約50kmほど走りきってゴール地点のアルプス公園へ辿り着いた。
和歌山からは健太君同様、ぼくも長野県までセグメントとチェックポイントをスルーして走ったものの諦めずにここまでに走れて本当に良かった。
長かったけれど、振り返るとあっという間の13日間。
これまでで1番長い距離を走ったし、たくさん色々なことを経験することができました。
道中では訪れる地域で多くの方々に助けられ、またメッセージを送っていただいた方々にも励まされてここまで来ることが出来ました。
大きな事故や怪我なく無事にゴールすることが出来て本当に良かった。

そして、今回一緒に走っていた健太君にも感謝しなければいけません。
1人ではここまで走れていなかったと思うし、たくさん助けてもらいました。
途中は言い合いになったりすることもあったけれどこうして無事に帰って来れて良かった。
そんな彼は相変わらずとんでもない距離を走っています。
現在は#FESTIVE500に挑戦しているので是非彼のSNSもチェックしてみてください。
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The Japanese Odyssey、今考えても大変な事ばかりでした。
だけど、それ以上に得るものがあったと強く思います。
いろいろな国からの参加者たち、主催者であるエマニュエルとギョーム、道中に出会った方々などたくさんの新しい出会いがあったり。
肉体的にも精神的にも限界寸前の時に限って、人に助けられ、ぼくも誰かが頑張っている時に全力で応援できるようにならなければと思ったり。
The Japanese Odysseyはぼくを確実に成長させてくれました。
この経験を活かし、来年はまた新しいことにチャレンジできるようにします。
そして、The Japanese Odysseyの次回開催時は2027年です。
ぼくは参加するかどうかはまだ考えることはできませんが、イベントにはまた何かしらの形で携わりたいと思っています。
このイベントに参加してみたいと思っている方やロングライドをしたいと思っている方は、是非お気軽にご相談下さい。
ぼくにアドバイスできる事は全てお伝えします。
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
良いお年をお迎えください。
そして2026年もどうぞよろしくお願い致します。
それでは。
